「Kazumi流きもの」雑記①
2009-05-22 13:05:16
カテゴリー kimono
風の強い本日、きものの裾をひるがえしながら表参道を歩く。
365日きもの生活者としては草履になると、俄然早足になる。
たまにハイヒールをはくと足の出し方が覚束ない。
というのも、草履と靴では歩き方が逆だからである。
くつはかかとから着地。
草履はつま先をけり出すように徒歩。
これを間違えると「草履は脱げやすい」ということになってしまう。
5月になってからは、単衣のきものに、襦袢もひとえ。
半えりはきわめて薄手の色半衿。
帯の素材もできるだけ、かろやかなもの。
こんな季節に重宝するのはかかり帯(芯をいれずに、両端がかがり仕上げ)。
6月になると、その装いは絽の半えり、絽の帯締&帯揚になる。
そして絽の帯。
梅雨をふきとばすような、涼やかな風がからだを抜ける。
このようにきものには「四季を身に纏う」喜びがある。
しかし、その喜びは現代では「季節のきまりごと」という足かせとなり
一気にきものへの敷居を高くしているようだ。
残念!
そんな懸念を払拭すべく『「着たい!」私のふだんきもの』p110
には「きもの歳時表」を載せてみた。
「Kazumi流」ではきものは自己表現であり、他者への思いやりの心を表すものと捉えている。
我々のDNAに眠る「和」のこころ。
それは、古来より自然と調和し、その対話を通じて自己を見つめることにあった。
自己をみつめることにより、他者と楽に調和でき優しく居られる。
だからこそ、日常ワードローブに「きもの」という選択肢をもってほしいと願うのである。
写真は、鎌倉報国寺、5月の竹と対話する一葉。